このコーナーは平成17年2月初旬から休止しておりましたが、11月下旬から再開をいたしました。
休止期間中にも世間の動向等、いろいろ感じる出来事などはあり、記録にとどめておりました。現在、それらを徐々に公開しております。
そのため、今頃こんなことを書いているのかと思われると思いますが、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
今回はNHKの報道姿勢・報道内容からは離れて、この番組に登場した、公僕である教師について話をしてみたいと思います。
教員は公私を混同してもらっては困ります。
私人の立場なら、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立したくない、という内心から、起立しなくても、まあそれはそれで別に構わないと思います。
例えば、相撲の観覧に行ったら千秋楽で、優勝力士が表彰される前には、国歌斉唱が行われます。その時に、私は国歌斉唱の時に起立なんてしたくないんだ、ということで起立しないならそれでいいでしょう。
ただ「おお、あの人は国旗に向かって起立しない信念を貫いている芯の強い人なんだなあ」と感心する人は多くありません。いるとすれば国谷裕子のようなサヨク、すなわち、非国民だけです。
多くの人の目には「無智」「非常識」「礼儀知らず」と映ることでしょう。
ただし、これが、学校での卒業式や入学式などの行事において、公務員として公務を執行中である身にありながら、国歌斉唱の際に起立しないというのは断じて許されない行為です。
公務員なのですから、国に対しての背信行為は絶対に許されません。採用時に宣誓するはずです。
国歌斉唱時に国旗に向かって起立しないという、その態度は、この世の常識では敬意を表しない態度です。
教師が起立しなくても敬意を表しているんだ、と内心思っていたとしても通じません。
公務員が国に対して敬意を表しない態度をとったのであれば、処分されるのは当然のことです。
もしそれが苦痛で仕方が無いのなら、公務員である教員にならなければよいだけの話です。私学なり塾の教師にでもなるのが道理です。
そんな幼稚な理屈が通るのでしょうか。
国歌斉唱時に国旗に向かって起立し、敬意を表する態度をとる、というのは、これはどこの国へ行っても常識であります。
君が代が嫌い、日の丸が嫌い、だから私は生徒に対して起立することは教えない、というのは噴飯ものであり、全く筋の通らぬ話です。
教師は好きだろうが嫌いだろうが、生徒に対して教えるべきものは教えなければならない責務があるのです。
国歌斉唱時には国旗に向かって起立脱帽する。それが世界の常識であり、マナーであることを生徒にはきちんと伝え教育する。
「私は起立したくない。」「私は当然起立する。」そういう判断は生徒自身がすればよいことです。
ただ、気に入らないからルールを守らん、というのは許されないことだと思いますがね。赤信号で止まるというルールはいやだから進むぞ、というのは許されないのと同じことです。
— 処分を伴う命令というやり方が教育現場になじむのか、そういったことが問われていると感じました。
取材した記者はこう締めくくりました。
でも、教員は生徒に対し処分を伴う命令をすることは無いのでしょうか。
登校時間までに登校せよと言うのは命令ではないのでしょうか。正当な理由無く遅刻した場合に何の処分も行わないのでしょうか。
中間・期末試験等を受けさせるのは命令ではないのでしょうか。高校の場合、試験の結果が及第点にいたらなければ進級させないというのは処分ではないのでしょうか。
「試験を受けたくない」「無試験で進級したい」という生徒の内心の自由はどうなってしまうのでしょう…
私がおバカなヘリクツを言っているのは普通の人ならば分かることだと思います。しかし、あろうことか、教員が同じようなことを真顔で語るのですから世も末です。
学校というのは、学問を学ぶ場であると同時に、社会という集団生活の中へ入って行くための、予行演習の場でもあるわけです。
自動車教習所と同じことです。
教員の頭からはそのことが狂牛病の脳味噌のようにスカスカに抜け落ちてしまっています。
社会には処分を伴う命令が山とあるのです。それは、集団で暮らし、社会生活を営む以上、社会秩序を維持するためには必要なものです。
そのことを学校生活を通し、教員が生徒に教えねばならないというのに、今の教員が教えるのは全く正反対のことばかりです。
もし、処分を伴う命令がない社会を理想とするならば、自戒できる精神を養う教育、道徳感を養う教育を行わなくてはならないはずです。ところが、実際は違います。
無分別に権利の主張だけ、屁理屈を並べるだけの公務員教師が揃っていては、公立学校の存在価値はゼロです。
学問だけなら、塾や予備校で十分対応できるのです。