10年前の9月30日、自分は精神年齢3歳の17歳という高校生。凶悪犯罪すらおこしはしなかったけど、おかしな高校生。チャンラー。その日、私の友人達は大変悲しい日を迎えてしまったのだ。シクシク。こんなもんじゃない。
台風が関東地方を直撃。朝から暴風雨。横殴りの雨どころか、上下左右四方八方めっちゃくそ、という表現がぴったし。自宅最寄り駅前はチャリンコがまともにこげないほど水があふれちゃったぐらいしどい。
よりによって、文化祭の日にだ。
そんなに悲しむには訳がある。
我が母校というのは、校舎ならびに体育館をあわせ、建造物がロの字型に配されている。つまり、中庭があって文化祭のときには、そこでバンドの演奏が代々行なわれていたのだ。ようするに野外ライブ。
だけど、私が高校1年のときに廃止になった。確か近隣住民への騒音問題、そして、校内で行なわれている展示発表への配慮からだったと記憶している。そして翌年も同様の方針で進んだ。
結果2年間という間、中庭のバンドは姿を消した。その復活に向けてバンド関係者達が文化祭の準備組織に加わった。それも前年度の2月から。こんな早期に動き出したのは初めてだった。そこで、復活に向けて動いていたのだ。
結局、バンドを復活させるだけでなく、文化祭全体のとりまとめまでをもやることになった。そして、中庭バンド復活にこぎつけたのだった。
でも、迎えたその日は台風だった。
2月から半年以上の時間をかけて力を注いだのにだ。結局そのメンバーは言い方は悪いが、結果、文化祭の準備にうまく使われたにすぎなくなってしまったのだ。これぞ、報われない見本のようなものだ。
だが、ここまで、がっくしさせてしまった奴は、よくよく考えてみるとこの自分だったのだ。
自分は一年のときも二年のときも、生徒会本部役員だった。二年のときは会長だった。つまり決定権はすべて自分にあった。
けど、いま振り返ってみると自分は何一つ自分の意見で動いたわけではない。顧問が考えて敷いたレールの上をただ単に走っていたに過ぎない。反論するわけでもない、つまり、マツモトキヨシのCM。いいなりだったわけ。自分の考えがなかったのだ。人が右といえば右。左といえば左。当時は今と違ってイエスマンの性格だったのだ。自覚・責任がなさすぎ。いや、生徒会長という職にはまったく相応しくない。
これは文化祭当日に問題が発生した時、前任の顧問から厳しく指摘された事でもある。自分の性格をみごとに言い当てられた。未だ鮮明に覚えている。他人任せで責任がない、人の上に立つものの性分ではないと。
先輩も顧問に似たような事を言っていたっけ。
自分が会長だったときに復活させてあげていれば、そこまで人を悲しませる事はなかったはずだ。その時の流れというものがあったことは確かだけど、それにしてもという感がする。
なにが言いたいんだ。めちゃくちゃだ。俺がしてきた事はなんだったんだ。誰かが敷いてくれたレールの上を走り切った満足感に浸っていただけじゃないか。哀しい人間だよな。
涼しい秋風が吹き出す頃になると考えてしまう。結局何が言いたいんだ俺ってば。